梅雨明けをまちかねたように夏日が続きます。
同じ園庭でも夏の強い日差を遮るものがない場所と欅の大木や柿の木や銀杏で同じ照りつける日差しを遮り、涼しい場所があります。
幼児はこのような対照的な場所での遊びを経験しながら「木陰」という言葉の意味をしっていきます。
言葉を学ぶということは体験を通して言葉のもつ意味を知ることです。「木陰が涼しい」ということがわかるのは実際に太陽の光を遮るものがない場所での遊びを通してこそ暑さをしり、木陰に入った涼しさを体験しているからこそ逆に「木陰が涼しい」ということもわかるわけです。
保育室で「木陰」とは「木々の樹木や葉が日光を遮りことができる場所で涼しい」と説明したところで、「木陰」という文字としてわかっていても、「木陰」という言葉の持つ意味はわかりません。
幼児期の五感を通しての体験が言葉を豊かにし、国語力をつけ母国語をしっかり学ぶ基礎になります。それが学力です。実は幼児期の遊びはこうした言葉の学び面での学習でもあるのですが、こうした根の部分の見えないが実はとても大事な学びがなかなか理解しにくかったりもしくは誤った教育の情報を信奉しがちです。
「光」といっても様々な光があります。「雲」や「風」や「空」も同じです。
最近の教育実習にくる学生をみていると、日本語の語彙の貧しさを感じるときがあります。まして幼児のまえにたつ先生です。日本語がきちんとできないと困ります。採用試験で作文をしますが、よくわかります。
日本語は豊かな語感や語彙を持っています。言葉は使う人が次世代へ伝えていきます。
子ども達に素敵な日本語を学んでほしいと願っています。
幼児期に母国語を体験をとおして「文字」ではなく「言葉」として学べないと母国語のみならず文化も学べません。自国の言葉や文化を語れないと外国に行き、多少外国語ができても嘲笑されるだけです。
過熱する英語教育の話を見聞すると、幼児期は個人で英語教室に行く是非は自由ですが、限られた保育時間しかない幼稚園で前述してきた日本語の学びをないがしろにしてまでもするのはどうかなというのが今のところ私の見解です。
むしろ地球には色々な人が住んでいることを知る意味で英語圏の国の人のみならず様々な国の人々を招いて、園児と一緒に遊びながら「人間は色々な肌の色や言葉を使う」ことを知ることのほうが面白いかもしれません。
- 2008/07/20(日) 23:59:27|
- 幼児教育への思い
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「人間は色々な肌の色や言葉を使う」
そうなんです。子どもを持ったそのときからこのことを子どもには是非伝えたいと思っていました。けれど現実にはなかなかそのチャンスはめぐってきません。世界で通用するのは確かに英語なので、英語から学ぶのも一理あるとは思うのですが、幼児期は種まきと思っている私としてはいろいろな国があっていろいろな人がいることを体感してほしいと切に願っています。
幼稚園でそんな企画ができたりしたら楽しいですねえ。あ、プレッシャーではありません。念のため。
- 2008/07/24(木) 01:13:55 |
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