先日20日(日)、21日(月)に全千葉県私立幼稚園連合会(千葉県内の主な私立幼稚園が加盟)が主催する東日本大震災で被災した岩手県内の幼稚園の視察旅行に参加しました。1日目は東北新幹線で一関まで行き、そこからバスで陸前高田市に入り、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市と陸中海岸に沿って北上し被災した市町村を主にバスの車中から見て、宮古市郊外に宿泊し、翌2日目は大槌町の被災された2園を訪問し、新花巻から東北新幹線で戻りました。今回は観光地は一切寄らず、ひたすら被災した跡を見る行程でした。今回の旅行も地元の三陸鉄道(一部区間不通)の旅行会社にお願いし、バスガイドの方自身も被災された方で、震災の実情を見て欲しいと色々と配慮してくれたり、車中ではほとんど震災後の生活等を実体験を交えながら、詳細に話してくださいました。
震災から8ヶ月経った今でもあちらこちらに津波等による被害の痕跡が残り、海岸沿いの土地は基礎部分のコンクリートを残すだけでした。震災直後は瓦礫と放置された車や建築物が散乱して、最近ようやく道路だけが開通し、鉄道の復旧はまだ先とのことです。報道やインターネットと現地で実際に見るのでは全く違うことを実感し、津波の凄さに声もありませんでした。海岸沿いの道に車を走らせながら、風光明媚なリアス式海岸の景色のむこうによこたわる穏やかな海からは想像できないほどです。被災された1園は間借りしており、3学期から仮園舎に移る予定だが、将来はまだわからないとのお話でした。2園とも地震発生後も迅速な避難で幸い園児の人的被害はないが、事情でお迎えに来て自宅に戻った園児が今でも行方不明なのが気がかりとのことでした。幸い土地柄、地震後の避難訓練は折に触れ、行っていたので、危機一髪難を逃れたが、1園はそれでも全園児が避難してから約8分後に津波が襲来して、2階天井部分に到達しており、常日頃の訓練の大切さを力説された話が心に残ります。
また仮設住宅が建てられていましたが、場所によっては平地がほとんどないので、わずかな土地を見つけては建てられていましたが、中には山間のほとんど日がささないような冬場の厳しい寒さが想像できる厳しい土地にもたくさん建てられいて、特に年配の方は住み慣れた我が家から一変した生活環境の苦労がしのばれ、自然災害の凄まじさを思い起こします。
色々と考えることが多い今回の視察でしたが、一番感じたのはどの市町村にいってもあちらこちらに様々な支援に対する感謝のメッセージや言葉が掲げられていたのがとても印象的でした。自宅の敷地内や学校前や商店街等たくさんの言葉を目にしました。当事者ではないとわからない様々な悲しみや苦労を背負われながらも、支援等に対する感謝の気持ちを表現する心に敬意を表するばかりです。「生きる希望をありがとう。○○中学校」のボードは忘れられません。
人間が生きていくうえで時にはむきあう様々な悲しみやつらさや苦しさを救ってくれるのもまた人間だと思います。楽しみや喜びを分かち合えるのも人間です。人間力を育むのも幼児期からの教育です。今回の視察で改めて幼児教育の大切さをかみしめています。今はけんかも満足にできず、子ども同士がもまれることを避ける教育(保護者からの苦情が多くなる)が主流で、友達同士で自由に遊ぶことで心の交流をする時間をもたない幼稚園が流行っていますが、そうしたことが子どもの将来にとってどれだけ不幸か、子ども達の園生活等を通しながら若い保護者の世代にメッセージを送るのも大事かもしれません。どうしてもすぐに見えるものや結果に目が行きがちな考えの方も少なくありません。まして子どもは社会の宝ですし、未来への希望です。
ガイドさんが「忘れられてしまうのが怖いので、是非観光でかわまないので訪れて欲しい、被災地だからといって、私達の心情を思いやる気持ちも良くわかりますが、来てもらえることで支援にもなります」と話されていました。広報委員として同意の下、被災された幼稚園のあとかたもない園舎等や様々な被災後の痕跡も撮影しましたが、このブログではあえて掲載はしません。
東日本大震災での被災地への息の長い支援が大事なのはいうまでもありません。1日も早い復興を祈るばかりです。



遠野は内陸部にありますが、昔から今回被災された海沿いの町と物流を始め、色々と人的にも物的にも交流があり、今回の震災でもいち早く動き出されたそうです。
- 2011/11/23(水) 22:44:38|
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