園長ブタゴリラ☆ブログ

音楽への思い~桃組(年少3歳児)の合奏風景~

発表会まで後1週間とせまりました。先日のブログでもご紹介しましたが、2回目の全園児による合同の歌の合唱を行いました。桃組はその後、始めて遊戯室の舞台で合奏の練習をしました。保育室が職員室の隣のため音はよく聞くのですが、全員による楽器を使っての練習は見るのは初めてです。楽器のパートごとの練習を見たことがありますが。
指揮する先生にあわせながら、それぞれの子どもさんなりに楽しんでいた様子が見られました。当日になると、運動会の時もそうでしたが、いつもの雰囲気と違うことで日頃の様子とは子どもの様子が違う場合もあるかもしれませんが、それはそれとして長い目で見守ってあげたいものです。
以前私はブログで音楽は人間が生活する中で大切な大事なものと考えているとお話ししましたが、幼児で歌うことや楽器で楽しむことが嫌いな子はまずいません。

嫌いになってしまうやり方のひとつは幼稚園で音楽を義務としたり修練の場としたり、見せるための練習として捉えると嫌いになる子が確実に増えてきます。
運動会の「鼓笛(マーチングバンド)」もそのひとつだと思います。私は教育実習でお世話にになった園でありながら、若気の至りもありそのことが到底理解できず、またそのことが原因(今は大分穏やかな大人になりましたが、若い頃は生意気で一本気で短気な面もありまして)で危うく実習が中止になる寸前でした。今思えば恥ずかしいのですが、当時は園児たちの鼓笛の練習風景を見ていて、どうにも我慢できず実習生としての立場を超えて言ってしまいました。指導教官から見ればとんでもなく生意気な学生に見えたと思います。
残暑の厳しい中、子どもの身体には重いというか不釣合いな太鼓を抱えたり、指揮する子どもの指揮は全く見えずなんのために指揮?、泣く子はしょうがないといった言動には唖然としました。つくづく子どもためというよりも保護者向けのものだと思いました。
いくらどういう教育的論理をふりかざらせようと根底には「親に見せる」という大前提があります。合奏するなら、鼓笛にしないで、しやすいような環境を整えて親に見せてあげればれば良いはずです。そもそも運動会にする必要性がいまだ理解できません。多分鼓笛(マーチングバンド)の歴史と関連付けているからかな。それとも入園募集前とも関係あるのかな。

誤解のないように一言だけ。私は鼓笛(マーチングバンド)そのものを否定しているのではなく、幼稚園児ではそれをするにはまだ無理があり、教育効果があるという論理と実際できるし、やっているという前提の背後の面にどうしても無理があることを話しています。

本園は幼児期は歌を歌う喜び、楽器に親しむ喜び、友達とする楽しさを十分味あわせてあげたいと思っています。

色々な園を見学する中で「子ども達のために」という教師の信念と「絶対する」という教師という権力の怖さにうっすら寒気を感じる時があります。
学校(先生)の教育への思いや信念は大切であり否定はしませんが、あくまでも子ども一人ひとりの様子や園生活を謙虚に見つめてあげながら、教師として見るというよりも同じ人間として視線を同じにしながらともに学ぶあうことで、教育ができると確信しています。
このことは決して子どもに媚びたり自分勝手に好き放題にさせたりすることとは全く違います。

教師(教育)はある意味とても怖い仕事です。教育には「絶対」という言葉はありません。「他山の石」として自戒自省していきたいと思います。
そのために本園の教育方針でもある「子どものために」ではなく「子どもとともに」という言葉を時々かみ締めています。

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  1. 2007/11/30(金) 20:10:49|
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