明日7月1日のプール開きを前に、年長2クラスにプール掃除や準備をお願いしました。なおプール本体や濾過機等機械関係のメンテナンスを含めた点検は今年もプ-ル施設点検の専門業者に依頼し点検済みで、特に異常なしとの報告です。
森のウッドデッキで、掃除を始める前に先生から全員に手順と役割分担などを伝えました。
こうしたことを子ども達にきちんと伝え、どういう段取りで動き、どこまでするのかを教えることで、先の見通しがみえる力を育ませるねらいがあります。
何かするたびに、「次はどうしたら良いの」と先生に聞いてくることがないようにすることで、人(先生)の話しを聞く大事さを身につけ、自らが考えて行動するといった自立の芽を育てます。
自分たちで使って楽しむものだからこそ、準備等やれるところまでやる気持ちも大事です。
4月に進級して早3か月、年長としての自覚も芽生えてきたようです。
明日の晴天を祈ります。
掃除のそれぞれの役割を話し、希望制で自分のやりたい仕事を選んだようです。

使わない期間はブールシートで覆っていましたが、それでも落ち葉等で中もだいぶ汚れていたようです。

水鉄砲等遊び道具も一つひとつ点検して確認します。



ビート板や見学用の椅子も雑巾できれいにふきとります。



お蔭様でご覧のとおり、きれいになりました。午後からは水を入れる予定です。
- 2016/06/30(木) 14:44:55|
- 保育のひとこま
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江戸時代ならさしずめ「親分大変だー」と捕り物の世界に出てくるようなセリフが、ここ佐倉城南幼稚園の職員室でも聞こえてきます。
親分という言葉こそ出ませんが、「園長先生(ブタゴリラ先生)、大変」「来て来て」時々駆け込んできては、自分で発見したり、見つけたりまた体験したこと等を時には興奮気味に話してくれます。
そういう姿を見るにつけ、子ども達は自らしたことに感動し、その気持ちを人に伝えることが嬉しく、伝えた人がそれを聞いて驚いたり嬉しく思う気持ちを見ながら、再度心が揺さぶられることになるのではないかと感じています。
お互いに気持ち(心)を揺さぶられたり揺さぶったり、大人から見れば一見何気ない日常風景の中でも、子どもにとっては大きなことがたくさんあります。普段の遊びの風景の中での発見、遠足など園外保育で見聞したこと、運動会や音楽発表会や音楽劇などの行事での体験を通して感じたこと等、でも全てに共通して言えることは子どもが主役であり主体的なことです。
保育者はそうした心が揺さぶられることへの感性がなくなった時点で、幼児教育の世界とは足を洗わなくてはいけないと、いつも覚悟をしています。
採れたの胡瓜を持ってきてくれました。

新鮮な胡瓜は表面にいぼいぼがあり、触るととげのように痛いです。こうしたことを実物を見せながら、教えてあげることも学びです。

年長組の女児の仲良しふたり組で色水を作ったよと見せに来てくれました。作り方も丁寧に教えてくれました。

番外編
今日の昼食時に畑で収穫したじゃが芋を今週月曜日に再度畑に行って手伝ってくれた年長組の労をねぎらう意味でも最初に食しました。これから学年ごとに食べる予定です。園児達も大喜びで食べていたようです。

- 2016/06/29(水) 17:40:04|
- 幼稚園の風景
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今日は6月生まれの14人の誕生を皆でお祝いしました。
音楽に合わせて誕生月の園児達が入場し、壇上にあがります。

皆で歌を歌いお祝いします。

誕生日プレゼントは今月は青組が作ってくれました。

プレゼント名は「あおぐみ ふうふう びっくり おばけばこ」です。
紙コップの中にお化けが潜んでいて、ストローを吹くと現れるようです。初夏にぴったりのプレゼントですね。


プレゼントをもらったところです。好奇心を抑えきれずに、早速楽しんでいる子ども達もいたようです。

お楽しみはスタッフによるブラックライトを使ったラインダンスと傘を使ったダンスです。

園児達が好きな歌「虹の向こうに」にあわせて、踊りました。


- 2016/06/28(火) 23:55:40|
- 誕生会
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今日の午後から園の嘱託医をしてくださっているI医院のI先生により行いました。やはり歯科医師のM先生同様、子どもさんを卒園させてくださり、園のことも良く理解してくださっています。また毎年4月に実施する教職員の職場検診もお願いしています。さらに親子2代にわたり、嘱託医のみならず法人の理事もお願いしており、感謝の言葉もありません。
過日の歯科検診に比べ、口を開けないぶんだけ園児達(特に新入園児)の負担や気持ちも落ちついていたように見受けられます。
聴診器で心音を聞き、栄養状態や斜頸についても注意深く目視しながら観察してくださったようです。
検診後、今日の内科検診を含め医学の見地から見た幼児教育についての見識ある話をひとしきり聞かせていただきました。
幼児期の心身の健康に留意することはとても大事なことです。でも何か特別なことをするというよりも、昼間良く身体を動かし(遊び)、夕食を食べて早めに就寝するという、「早寝早起き」につきると思います。「寝る子は育つ」以前このブログでも成長ホルモンの観点からお話させていただいた通りです。
遊戯室で少人数ずつ入室して、検診を受けました。
- 2016/06/27(月) 18:00:50|
- 保育のひとこま
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今日は来週某養成校で幼稚園の先生の就職についての講演を頼まれたので、自宅でその講義に必要な資料集めをしていました。つれあいからは資料作成までいかないところを、相変わらずいい加減な人と責められています。
このところマスコミ等で保育園や保育士の話題が色々と取り上げられています。処遇改善や労働時間等に係る諸問題は幼稚園の世界でも同じです。いやむしろ保育園以上に厳しい問題を抱えています。幼稚園の収入は生徒納付金と補助金である私学助成金が大きな柱ですが、保育園の補助金に比べ色々な面で正直差があります。公立と私立の格差もあります。極端な話、私立幼稚園は少子化に伴う幼児人口減少による経営難から毎年全国で閉園する園が増えていますが、公立幼稚園や公私の保育園は運営の原資が100%補助金(税金)で賄われているため、いくら園児数が少なくても自らがやめる以外は閉園することは基本的にはありません。そうした様々な細かい補助金のからくりは一般の人にはわかりにくい、表にはなかなか出てこない数字です。
また保育園での0歳児から5歳児の一人当たりのコストと幼稚園での3歳~5歳児でコストの比較もマスコミ等ではほとんど触れられていません。何故かといいますとマスコミ業界で働く人にとって保育園の充実は絶対に必要であり、都合の悪い記事は報道しないのが実情なようです。
私は幼稚園に我が子を入園させて子育てをしたり、育児に頑張っている保護者の皆さんにはある意味敬意を持っています。自分が幼稚園の園長ということ云々以前に、幼児期に我が子と向き合い、ともに成長していこうという思いは尊いものです。よく働いていないといって配偶者控除の見直しが話題になる時がありますが、とんでもない話しです。経済優先の中でしか考えない場当たり的な発想には時々うんざりする思いです。
幼児期にかける教育のコストで将来どれだけ社会がよりコストがかかるのか、今はデータで実証されています。本も出版されています。もちろん母子家庭などやむを得ない事情で働かざる得ない人には十分な配慮が必要です。
保育園を建てるコストと将来の維持費を考えると、3歳までの育児休暇の充実、今は1年間のみ有給ですが3年間有給(給与も10割負担、現在は6割で保険等支払い免除で8割程度と言われています)、子どもの医療費の無償化、教育費の無償化をしても、おそらくランニングコストは安くつきます。もちろん育児休暇終了後、元の仕事に戻れることはいうまでもありません。
また男性の育児参加のために有休休暇をとりやすくすることも必要です。本来育児は男女で協力しあうのが基本ですが、日本ではまだまだ母親だけに育児を強いる傾向があり、そうした社会の意識の変革も必要です。
壮大な夢といわれてしまえばそれまでですが、いずれ少子化で保育園も幼稚園もともに余る時代がきます。その時の膨大なコストはいずれまた国の負債となって負担が増える気がします。
少子高齢化や都市人口流入に伴う地方人口減少また共働き家庭が増えるといった社会情勢の中で、こども園という新しい制度ができたのは、周知の事実です。今私立幼稚園は全国的に見れば、年々移行する園が増えています。隣接する茨城県などはかなり新制度に移行しています。近い将来は一部の都内にある私立大学のブランド幼稚園や国立大学の附属幼稚園以外は移行するのではと予測されています。
但しどういう制度になろうとも、幼児教育に係る以上、子どもの最善の利益を最大限に生かせるように、研鑽だけはかかせません。7月初めの週末に宇都宮市内の私立幼稚園から幼保連携認定こども園に移行した園の視察に行く予定です。
何はともあれ幼児に係る問題点にスポットが当たるのはありがたいのですが、保育士のみならず幼稚園教諭又新制度の保育教諭も同列に扱って欲しいという思いは幼稚園業界の誰もが考えている切なる願いと思います。
この園長先生は本でしか知りませんが、子どもたちを思う揺るぎない信念に敬意を表しています。
- 2016/06/25(土) 23:15:40|
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先週ぐらいから、じゃが芋掘りをいつにしようか、天気予報を見ながら、今日ようやく梅雨の晴れ間を利用して芋ほりに行けました。
今年も豊作で、年中や年長はひとり5株、年少は4株掘りました。もちろん掘る流儀にも個人差があり、特に年少(3歳児)ですと2、3個芋を入れただけで満足したり、中には身じろぎもせずにじっと畝とにらめっこしている子どもさんがいる一方で、前後左右まで縦横無尽に越境して芋ほりの遠征に行く子どもさん等実に様々です。
年長組になると経験もあり、掘ることを楽しむ余裕が見られました。
園から畑まで園バスで片道約15分ぐらいです。異年齢のクラスの組み合わせをして、3回に分けて畑を行き来しました。
掲載した写真は青組と桃1組の様子です。後のクラスは私が立ち会えずごめんなさい。でもどのクラスもこのような感じで芋ほりを楽しんだようです。ご家庭でも子どもさんが一生懸命掘ってきたじゃが芋を味わっていただけたら幸いです。
茎があるので、茎を引き抜くと芋が根のところについているので、さつま芋掘りのように地中深くないので、幾分掘りやすいかもしれません。




「土を素手で掘るということ」が大事です。普段の園庭での土とまみれる経験が活きているかもしれません。時々軍手等を使うところもありますが、怪我等事情がなければ素手で大地を掘り起こしてほしいものです。

子どもにとっては大人と違い芋の大小による価値はあまりないようです。大きい芋も小さな芋もそれぞれに愛おしいようです。
大きいでしょうと意気揚々と自慢げに見せてくれました。

あかちゃんみたいでかわいいでしょうと、嬉しそうに見せてくれました。

袋の中には次から次へと芋が入っていきます。

袋が重くて持ちきれずに、引きずっていく子ども達もいたようです。


手をたらいで洗います。数字の1から順番に洗っていきます。

畑から園に到着して、芋の入った袋はご覧の通りです。それぞれに豊作だったようです。
- 2016/06/24(金) 18:30:46|
- 園外保育
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今年の3月で出産のために退職したI先生とおつれあいのかたの転勤で同じく退職したK先生が遊びに来てくれました。
I先生は5月に女児を出産され、初めて対面しました。まだ首が座っていませんが、それでも恐る恐る抱かせていただきました。すっかりおじいさんの気分です。園児達も初めて赤ちゃんと対面したり、久しぶりにふたりの先生と会い、再会を喜んでいたようです。
ふたりの先生から掲載の承諾をいただきましたので、掲載します。また行事等でお目にかかれることを楽しみにしています。
「いつも にこにこ お元気で」
保育中なので職員室のスタッフと一緒に。

I先生が昨年受け持った赤組(現・青組)の園児達と一緒に。子ども達も赤ちゃんがお腹にいて、先生に赤ちゃんが生まれるからとやさしく手助けしてくれました。初めて見る赤ちゃんに感激していたようです。


K先生が昨年度受け持ってくれた年中2クラスにも遊びにいきました。(本園は年少から年中に進級する時はクラス替えをします)

- 2016/06/23(木) 14:13:09|
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この数年、幼稚園でも「食育」という言葉が注目をあびています。食育とは辞書で調べると文字通り「健全な食生活や食習慣を身につけさせるための教育」という意味です。最近は研修会でテーマとして取りあげられたりしています。幼稚園は保育園に比べ今まで食育について、それほど関心が高くなっただけに個人的にはとても良い流れだと思っています。
先日見学させていただいた兵庫県の幼保連携認定H子ども園も自園給食で地域の食材を使い、そうした生産者とのつながりを大事にしていく中で、時産地消を実践されていたようです。
食育を後はどういう形で園児達に学んでもらうかということが大事です。食べることについては園児達も先日の西瓜ではありませんが、関心も高いようです。
人間にとって「食べる」という行為はとても大事なことです。たんに食欲を満たすだけの行為ではなく、そこには様々に付随する人生を生きるうえでの喜びや楽しみがあります。
家族で食卓を囲んで話に花を咲かせたり、親子で料理をしたりすることも大事なことだと思います。人と食事を共にすることで、その人が見えてくることがあります。
私個人的には少しばかり趣味の範囲内で料理をするので、旅先で市場を覗いたりその地方の食材を食したりするのが好きですし、自宅でも食べ物に関する本は仕事の本は別としてたぶん一番多いと思います。又料理人の方の著書を読むのも好きです。現場で料理一筋に仕事をしてきた方の話は興味深いものがあります。
幼稚園での食育はその園により色々なやり方があると思いますが、本園での主な取り組みは以下の通りです。
・大篠塚に畑を借りているので、年長組は植え付けから収穫までをできるだけ体験して、生育の仕組みを学ぶ。
・園の菜園で四季折々の野菜を育てているので、子ども達に時には種蒔きや収穫してもらい、昼食時に食材として提供する。
身近に見れるので、園児達の興味や関心も高い、収穫量よりも多品種をお願いしている。
・年長組はテーブルクロスを敷き、季節により自分たちで栽培している花を飾り、食事の楽しさを味わう。
・給食は食材の安全性を重視し原則国内で収穫された食材、加工品は極力使わず、当日朝に食材から調理する。
噛むことを重視する切り方に配慮する。顎の発達を促す。
・遊びの中で、料理を楽しめる環境の充実。自然素材をふんだんに使えるように樹木にも配慮。昨年キッチンや台所用品置き場を新しく作りましたが、今年も様子を見ながら、必要なものがあれば、より充実させる。
食を通して人間が生活するうえでの問題もみえてきます。大きな視点では地球環境、細かく見れば地域の様子、地方が疲弊して田畑が荒廃する地域もあります。日本の食糧の自給率の低さはいうまでもありません。又アレルギーの問題等子ども達の未来を考えた時に食はとても大切です。安かろう悪かろうでは生産者はもとより長い目でみたら消費者にもマイナスです。良心的な生産者(農家)に寄り添いたいし、インターネットが発達した今、情報も入りやすくなってきています。食べる人も少しでも興味関心を持つことで違うと思います。食育を通して子ども達にも関心を持つ芽が生えてくれたらと願っています。
今日の給食(ハーブ提供)
松風焼き、炒り豆腐、ピクルス

園の菜園で収穫した胡瓜の浅漬け。今日は年少組で味わいました。

じゃが芋畑、いつでも収穫できるようです。今月中の梅雨の晴れ間に行きたいと思います。

年長組が5月の連休明けに植てくれたさつま芋畑です。根付き、育っています。(その時の様子は5月9日、11日付のブログに掲載)
- 2016/06/20(月) 19:30:41|
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連日暑さが続きます。今日も朝から園で仕事をしていますが、温度計は30度をさしています。
さて今日は父の日です。以前は過日行った保育参観も父の日の保育参観と称していた時代もありましたが、社会の変化の中で色々な家庭や事情を鑑みて今は保育参観としています。また昨年までは父の日にちなんで「おとうさんの顔」という題で描き、自宅に絵を記念に持ち帰りましたが、今年は「大好きな人」という題で描いています。大概の園児はお父さんの顔を描きますが、今年は題を変えてみました。
そうした園としての配慮をするのはかえって本末転倒ではないのか、世の中の不条理を子ども達が知ることも大事ではないか、変に気を遣うのはかえって母子で生活している家庭に失礼に当たるのではないのか等色々と意見や考えがあるのを踏まえたうえでの決断でした。
私は世の中はある意味不条理であり、自分の思い通りにいかないことがあるのは当たり前と思っていますが、そうした中でめげずにどうしたらよいのかと前向きに考え、生きていくことが大事だと思っています。もちろんしなくて済む苦労はしないに越したことはありませんが、なかなかうまくいきません。でも時には家族や人に助けてもらったり励ましてもらったりする中で、先が見えてくることがあります。だから人間社会は面白いし、生きていけると思います。
幼稚園によっては教育方針や目標に「みんな仲良く」「みんな友達」といった言葉(フレーズ)をちりばめて、幼稚園に入園したら全員誰もが園内の誰とも仲良くなるという、魔法の国ようなイメージで入園を誘う案内を見かけます。
でも本当にそうでしょうか。私が知る限りそうした園は自園を含めて皆無です。幼稚園もひとつの社会集団です。
もちろんコンセプト(教育方針や目標)は正しいし、否定はしません。でもちょっと待ってください。クラス全員と仲良くなるのは理想ですが、ちょっと苦手だな、遊んでいても面白くないなと付き合う中で子ども同士で思うこともあるかもしれません。そうした中でけんかせずに距離をおきながら、お互いに上手につきあうやり方を学ぶことも大事です。折り合いをつける力や上手く付き合うといった人間力を学びます。また年上のおにいさんやお姉さんとのつきあいや年下の子ども達も同様です。大人社会と同じことです。
今は親が先回りしてそうした経験の芽を摘み取りがちです。中にはいじめと勘違いされる方もいらっしゃいますが、まったく違います。幼稚園で基本的にいじめはありません。もちろん自分が友達にいやなことをすれば仲間はずれにされます。でも自分の非を認めてあやまればまた仲間に戻れます。
仮に幼稚園でいじめがあるとすれば、そういう園はスタッフが園児達を「できた」「できない」だけで評価するやり方や、行き過ぎた過熱した競争原理による教育の中で起こると思います。何故なら一人ひとりの良さをクラスの中でお互いに認めあったり学ぶことができない学級経営になり、また担任も単なる数字等による「できた」「できない」という評価で園児達を判断するので、できないとされた子どもはよりできないといわれる子どもを自分がされた評価のうっ憤を晴らすべく、いじめていく構造です。心の教育とは程遠いものがあります。
そういう園は園長がスタッフを同じようなやり方で評価し、スタッフは園児達をまた評価という悪循環をたどりがちです。そのため園の雰囲気も往々にして、ぎすぎすしがちです。
例えばクラス内に縄跳びが何回か出来たかと棒グラフで示したりマラソンと称するものをしてタイムを競い、ゴールした順番に一覧表のような形で掲示したりすることがあります。マラソンについても幼児期の運動面から考えると一考あるのですが、それはまたいつか話す機会があればと思います。
競争原理は大事ですし否定はしません。でも幼児期は頑張ってできるまでの過程を評価してあげることのほうが大切です。結果よりも過程です。苦労して初めて飛べた1回の価値は100回飛べた子どもと同じ価値だと思います。でもグラフにすると大きな差がつくように見えます。保護者は○○さん(君)はたった1回しか飛べていないのねとしか見えません。でもその過程はその子どもにとっては深い意味があります。先生も数字等でみていくうちに過程をだんだん見えなくなりがちです。怖いことです。
もちろん上手に飛べたり速く走れた子どもはそのことをほめたたえるあげるのは良いとおもいますが、評価という形でわざわざ知らせることはどうかなと思います。そもそもそのようなことをしなくても、子どもたち同士で知り、○○君(さん)はこうしたことは得意だよと認めあっています。クラスの中でそれぞれの子どもなりに秀でたことをクラスの子ども同士がわかる経営に担任は腐心しなければいけません。
虫取りの上手な子どもに数字でどうやって評価しますか。ダムを造るのが上手い子、友達にやさしくできる子どもの数字の評価はどうしめしますか。縄跳びが上手に飛べたねで十分ですよね。わざわざグラフ化や数字にする意味があるのでしょうか。まして心の評価は数字で表すことは難しいと思います。数字による評価は数の意味をきちんと理解できる小学校で使うほうが良いと思います。
「不条理」という言葉から話が思わぬ方向に行ってしまいました。
園で子ども達が自分で理解したり自分の力で解決もしくは先生達の力を借りながら解決できる不条理はあってよいと思いますし、「生きる力」を育むうえで大事なことだと思います。前述した友達同士のつきあいもその一例です。
でも子どもにはどうしようもなくまたその年齢では理解しにくい不条理については幼稚園ではわざわざ触れなくてもよいのかなという思いもあります。もちろんこれから成長していく中で、その年齢に応じて理解し、世の不条理に気づいていくこともあると思います。
今回はスタッフとも職員会議でどうしようかと色々議論もしましたが、「おとうさんのかお」という題ではなく、「大好きな人」という題で描いてもらいました。
写真はこの暑さにめげずに、元気に生活しているウサギの「ちょこ」です。仲間が亡くなり、本当は友達を入れてあげたいのですが、途中から入れるとけんかしてしてしまうので、今はお独り様です。
最近ブログに登場する出番がないので、久しぶりの登場です。
園が休みの土日に餌をあげに行くと、足音でわかるのでしょうか、嬉しそうに扉を開けると寄って来てくれます。自宅の愛犬といい、最近は人間よりも動物たちに相手をしてもらえることが多いようです。(笑)


- 2016/06/19(日) 13:04:36|
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