発表会まで後1週間とせまりました。先日のブログでもご紹介しましたが、2回目の全園児による合同の歌の合唱を行いました。桃組はその後、始めて遊戯室の舞台で合奏の練習をしました。保育室が職員室の隣のため音はよく聞くのですが、全員による楽器を使っての練習は見るのは初めてです。楽器のパートごとの練習を見たことがありますが。
指揮する先生にあわせながら、それぞれの子どもさんなりに楽しんでいた様子が見られました。当日になると、運動会の時もそうでしたが、いつもの雰囲気と違うことで日頃の様子とは子どもの様子が違う場合もあるかもしれませんが、それはそれとして長い目で見守ってあげたいものです。
以前私はブログで音楽は人間が生活する中で大切な大事なものと考えているとお話ししましたが、幼児で歌うことや楽器で楽しむことが嫌いな子はまずいません。
嫌いになってしまうやり方のひとつは幼稚園で音楽を義務としたり修練の場としたり、見せるための練習として捉えると嫌いになる子が確実に増えてきます。
運動会の「鼓笛(マーチングバンド)」もそのひとつだと思います。私は教育実習でお世話にになった園でありながら、若気の至りもありそのことが到底理解できず、またそのことが原因(今は大分穏やかな大人になりましたが、若い頃は生意気で一本気で短気な面もありまして)で危うく実習が中止になる寸前でした。今思えば恥ずかしいのですが、当時は園児たちの鼓笛の練習風景を見ていて、どうにも我慢できず実習生としての立場を超えて言ってしまいました。指導教官から見ればとんでもなく生意気な学生に見えたと思います。
残暑の厳しい中、子どもの身体には重いというか不釣合いな太鼓を抱えたり、指揮する子どもの指揮は全く見えずなんのために指揮?、泣く子はしょうがないといった言動には唖然としました。つくづく子どもためというよりも保護者向けのものだと思いました。
いくらどういう教育的論理をふりかざらせようと根底には「親に見せる」という大前提があります。合奏するなら、鼓笛にしないで、しやすいような環境を整えて親に見せてあげればれば良いはずです。そもそも運動会にする必要性がいまだ理解できません。多分鼓笛(マーチングバンド)の歴史と関連付けているからかな。それとも入園募集前とも関係あるのかな。
誤解のないように一言だけ。私は鼓笛(マーチングバンド)そのものを否定しているのではなく、幼稚園児ではそれをするにはまだ無理があり、教育効果があるという論理と実際できるし、やっているという前提の背後の面にどうしても無理があることを話しています。
本園は幼児期は歌を歌う喜び、楽器に親しむ喜び、友達とする楽しさを十分味あわせてあげたいと思っています。
色々な園を見学する中で「子ども達のために」という教師の信念と「絶対する」という教師という権力の怖さにうっすら寒気を感じる時があります。
学校(先生)の教育への思いや信念は大切であり否定はしませんが、あくまでも子ども一人ひとりの様子や園生活を謙虚に見つめてあげながら、教師として見るというよりも同じ人間として視線を同じにしながらともに学ぶあうことで、教育ができると確信しています。
このことは決して子どもに媚びたり自分勝手に好き放題にさせたりすることとは全く違います。
教師(教育)はある意味とても怖い仕事です。教育には「絶対」という言葉はありません。「他山の石」として自戒自省していきたいと思います。
そのために本園の教育方針でもある「子どものために」ではなく「子どもとともに」という言葉を時々かみ締めています。

- 2007/11/30(金) 20:10:49|
- 音楽
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今日は風も強く、大分体感温度も寒く感じます。
でも園児たちは、寒さをものとせず、自分の好きな遊びを見つけながら、思い思いに自由に友達と遊んでいます。
写真はツリーハウスや山から撮影した登園後の園庭風景です。
「子どもは風の子」寒さに負けず元気に遊んで欲しい、今のこの時、この瞬間を大事にして欲しいと思います。



- 2007/11/29(木) 19:23:24|
- 幼稚園の風景
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12月8日(土)は音楽発表会です。合奏や歌を披露します。
昨日は初めて全員集まり合同で歌を歌いました。また舞台で自分たちの立つ位置や出入りについても確認します。
各クラスでは歌っていますが全員で歌うとまた迫力があります。
最近の子どもは思いっきり声を出す機会が少なくなリ、以前の子どもに比べ音域が狭くなってきているという話を聞いたことがあります。
音域の問題はともかく、声を思いっきり出す機会が少なくなってきているのはわかるような気がします。、
- 2007/11/28(水) 20:45:12|
- 音楽
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園庭では電車ごっこ、山の方では木登りをしていました。自然と触れ合いながら全身を使って楽しめる遊びです。達成感も最高です。
順番に登り終えたら、降りは木の柱からするすると降りてきます。
時には先生が応援します。
「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」昔聞いた懐かしい言葉が浮かびます。
「わんぱく」「いたずら」そうした言葉が今では「負」のイメージになりつつあります。子どもは本来は知的好奇心が旺盛だかから、わんぱくでありいたずら(自分で試してみようとする力)です。でもそういう子どもの方が学力は伸びるし年相応に落ち着いてきます。大人から見て良い子や行儀が良すぎる子どもはかえって心配です。
園でしつけばかり求めすぎると子どもは大人(親や先生)の顔色を伺いながら育ちます。自立や自律また自発性が育ちません。親はその時はそうした子どもの姿を見て満足します。特に2,3歳はやんちゃで手を焼いている第1次反抗期を迎えているだけに「さすがに幼稚園に入れて、お行儀がよくなったわ」
でも青少年期以降で自立できないことが社会問題になっています。
自立や自律できる子はマナーや立ち振る舞いも自分で考え相手の立場や状況を考えるので、きちんと出来ます。
「子どもが子どもらしく育って欲しい」私のいつもの願いです。



- 2007/11/27(火) 22:06:54|
- 幼児が学ぶ大切なもの~事例から~
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切符も子ども達の手書きで行先が書かれています。きちんと行先ごとに分けられています。物を分類することは知的発達にはとても大切な大事なことです。
石や木の葉がお金代わりです。「千葉まで1枚ください」「△△円です」駅員さんとお客さんの会話が弾みます。
駅の隣では弁当屋さんが一生懸命弁当を作っています。中味は身近な原材料(砂や土や石)や季節の素材(落ち葉)を生かした出来立て新鮮な駅弁です。売り子さんも肩から弁当箱を提げて売り歩いていました。
こうような「ごっこ遊び」をとおして子ども達は友達とのやり取り、役割分担、自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちを読み取るといった人間関係を学びまた実際の社会の仕組みを知るきっかけ(電車)にもなります。「ごっこ遊び」にも色々あります。「お店屋さんごっこ」「おかあさんごっこ」等様々です。でも教師が仕掛けすぎても発展しません。自らの自発性がないと楽しめずそれが発展につながらず遊びの展開ができません。
園児のごっこ遊びを見ると子ども達の育ちの一端が見え、その園の教育の充実さの濃淡が浮かび上がるといわれています。
これからも楽しい電車の旅を続けてくださいね。





- 2007/11/27(火) 21:22:47|
- 保育のひとこま
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朝登園してきた子ども達から身支度が終わると、天気が良い日は必ず園庭で遊びます。
最近はやっている電車ごっこが始まるようです。駅を決めライン用炭酸カルシウム(普通の消石灰ですと子どもの安全上適しません)の白線が線路代わりです。
路線図も表示し,切符を購入して電車に乗車します。駅ごとにプラットホームを見立て駅名を表示します。
「出発進行」安全運転で楽しい旅を。



- 2007/11/27(火) 20:59:17|
- 保育のひとこま
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発表会に向けて楽器の練習がパートごとに始まりました。出番がない園児たちは晩秋の園庭で遊びます。
園庭の真ん中では年長組さん何人かでバトンを使いリレーを始めました。先生も仲間に入れてもらいます。
秋空のもと、力いっぱい走り、競い合い楽しむ姿にしばし見とれていました。
自分たちでルールを作り遊びを組み立てていく力、、何かトラブルがあるときは話し合いながら自分たちで解決しようとする力を子ども達の遊びの中で時々垣間見ます。年少、年中には見られない姿です。
「先生こないで、自分たちでするから」その一言に成長を感じます。


- 2007/11/26(月) 18:16:04|
- 幼児が学ぶ大切なもの~事例から~
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園庭は今が紅葉の見ごろです。秋色真っ盛りです。
静かな園庭の紅葉を眺めていると時々野鳥が飛来して木々にとまります。普段は園児たちの賑やかな声で鳴き声までなかなか耳にすることはありません。
庭をゆっくりと歩くことで普段いつもこの場所にいながら、景色ひとつでも日頃見えないものが見えてくることがあります。
教育も同じかもしれません。早く結果を求めようとして地味だけど大事なことを忘れたり置いていくことで身につかなくなり、結果的にはかえって遅くなる。
今の幼児教育(幼稚園)で、学ぶ過程よりも結果(出来映え)が全てという風潮を感じる時があります。子どもの活動に「無駄」とか「失敗」という言葉はありません。大人が生産するものとは違います。良い意味でたくさんたくさん経験しながら学んで欲しいと思います。
今日の写真は園庭の紅葉風景です。少しでも秋色の園庭を感じいただけたら嬉しく思います。




- 2007/11/25(日) 17:42:58|
- 幼稚園の風景
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3連休の中日、皆さんはいかがお過ごしですか。行楽に行かれた方も多かったかもしれません。日中は11月下旬とは思えないほどの暖かさでした。私は残念ながら昨日、今日と幼稚園で仕事です。
ひとりで職員室にいると、どこからともなく「にゃーおん」という鳴き声とともにちきんが姿を現します。
足元に身体を摺り寄せ、甘える仕草をしながら、おねだりします。
お腹がいっぱいになると、日当たりの良い場所を選んで、ご覧の通りごろんと横になり寛ぎます。
仕事の合間にちきんをかまうと、幾分迷惑そうにしながらも相手にしてくれます。写真はそんな折のスナップです。



- 2007/11/24(土) 17:22:17|
- 幼稚園の動物たち
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祝日の前の日になると、園児たちには明日はどういう日で園が休みになるのか聞いたり教えたりします。今日の「勤労感謝の日」はこどもの日や敬老の日みどりの日など他の祝日にくらべなかなかぴんとこなかったようです。
おとうさんはともかくおかあさん(母親)は祝日といわれても家庭があり子どもがいると休みはありません。かえって日頃家にいない人がいることで家庭によっては余計大変だと思われる方もいるかもしれません。
「男は仕事が大変」という方もたまにいますが、育児にくらべれば大変さが違うように思います。
私は以前つれあいが下の子を出産する際に入院している間、上の子が2歳の時にわずか2ヶ月間たらずでしたが、娘とふたりで生活したことがあります。朝早く起きて朝食を食べさせ保育園に送り、仕事を終えて迎えにいき、さすがに夕食だけは時々実家のお世話になりました。夜帰って風呂にいれ洗濯を取り込み夜のうちに洗濯してという繰り返しでした。また食事はできるだけ自分で作ろうと思い、洗濯機が回っている間にこまめに作っていました。娘は入園当初は朝泣いていきたがらず、家から強引に車に乗せて送っていったこともあります。休みの日も子どもはいるので家事があります。わずか2ヶ月足らずでしたが、正直大変な思いでしたが、今となっては良い思い出です。
世間には父子家庭や母子家庭など色々な条件の中で子どもを育てている家庭は無数にあると思います。私の場合は期間も本当にわずかで実家も近くにありきわめて楽なほうだったと思います。でも当時は育児を楽しむ心境にはなれませんでした。
そしてその時から今でも仕事の方が楽だなとつくづく思います。子どもがそばにいるいないというだけでも大きく違います。自分の時間を持つことすらなかなかままならないと思います。
今育児をしている人は無我夢中でなかなか楽しむというところまで場合により余裕がないかもしれませんが、子育てが一段落した後に振りかえってた時に、当時の思い出が強く残るようです。子育てを終えたおかあさんたちからそうした話をよくお聞きします。
「母親は強い、子どもは最後はお父さんではなくおかあさん」という言葉も素直にうなずけます。
確かに最近は育児に父親が手伝ったりすることが以前に比べ増えてきていますが、社会全体から見るとまだまこれからでしょうか。
男女共同参画社会づくりを見据えながら、今後少子化が進む中で、社会全体の中で育児についてどう支援していくことが大事かを考えることが、子どもの利益にかなうと思います。
- 2007/11/23(金) 19:00:41|
- 幼児教育への思い
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